松茸の露

 半世紀も前の話だから詳しくは覚えていない、季節は晩秋から初冬にかけてであったか、特に寒い日ではあった。
夜の十時に目黒駅前に住む 友人の坂口を尋ねる予定になっていた、噂では彼のおやじ殿は鉄鋼業界の大物、そして業界一の英語通だという。
 朝おきると顔を洗うとき、トイレ、食事中もカセットテープを回しっぱなしだったという、彼(邦彦)自信はヌーボーとした風采、よく言えばいい所のお坊ちゃん、悪く言えば暗闇から引っ張り出した牛だったな。
目黒駅から2,3分2〜3百坪と思える 鬱蒼とした森に平屋の武家屋敷風建物が建っていた。

ある朝食事中に運転手が封筒を手に入ってくると「長い事お世話になりました」と封筒をおやじ殿に差し出した。
中には退職願いが入っていたそうな。
「辞めた後はどうするんだね君は!」「おかげ様で通訳の資格が取れましたので、、」
これには流石のおやじ殿もア然としたという。寒さに耐えかね小便もしたくなったので 15分待って呼鈴を押し
た、なんと思いもしなかったおやじ殿が出てきた。
小柄だけどガッチリした筋肉体質、「こんなに遅く他人の家を訪ねてナンの用だね!」といきなり上から目線である。
「 十時に邦彦君と門前で会う約束をしていたんですが まだ出てこないんで、、、」といえばそのおやじ 何も言わずにきびすを返して家の中に入っていった。
”そうか息子が君に迷惑をかけたのか、先ず入り給え”位の挨拶は在ってもおかしくないのに、まあ鉄鋼業界だから冷たいのは当たり前なのか。
それでも扉を開けっ放しにして家に入ったのは せめてもの侘びの心算なんだな。
やがて暗闇から牛が出てきた、「
「おい寒いんだ トイレを貸してくれ」と金隠しの前に立てば、なにやら短冊が貼ってある。

 ” 急ぐとも 心静かに棹差して 横に漏らすな 松茸の露 ” 無骨だけど粋なおやじであったな。
  

ホラとホラーと

 「日曜日には豆台風が湯河原を襲いますよ」と恐ろしいメールが次男の嫁から届いた。
嫁の実家の母は「ウチは2人の娘を育てたけれど おとなしかったねえ」といい、我家では「ウチは息子二人を育てたけど、こんなにヤンチャじゃなかったねえ」と妻が言う、8歳と3歳の孫娘たち。
10月の梓の誕生祝には何がいいのか嫁に尋ねたら、「ダブルのマジックテープの付いたスニーカー」とリクエストされたそれだけ動きが激しいということらしい。

夕食の前に大浴場で温泉に入り いざ帰り支度を始めたら 次女の真弓が僕の腰にしがみついてきた。
「ありがとう今日はよく来てくれたねえ、又きてくれるかなあ」といえばウンウンとばかりに頭を腰に押し付けて
「いいよ!」のサイン 
「だけど君たちが帰っちゃうと、おじいちゃん寂しくなってエンエンエーンて泣いちゃうかもなー」といえば何のサインもなし、凍りついたように動かない。
両方の手でほっぺたを挟んでこっちを向かせると、眼には涙が一杯浮かんでいた、女の子を泣かせてはいけないと家訓にあった筈だが。

 さて内湯に入ってさっぱりするかと 風呂に湯をためだした頃になってメールが入った「風呂に行きませんか?面倒見させてもらいますよ」と最年少の友人S君からである。
まだ自信が無いからと丁重にお断りして よかったと思い知らされたのはこの直後である。
43度の湯に漬かり 気持ちがいいからと湯船に入ったまま頭を洗った、どうも手触りが違うなあ 眼を開けてビックリ、手の皮膚が見えないほど1に抜け毛がビッシリ、オレにはまだこんなに髪が生えていたのか とまるでホラー映画の主人公を演じてしまった。
どうせ抜けるなら全部抜けたらスキンヘッドでいいだろうに、未練がましく残り髪があるのが残念である。

カラオケ事始 

 熱海にスタジオを建てて東京から通い、夜遅く食事する居酒屋「村長」ではマイクがよく回ってきた、見知らぬ女客から「赤と黒のブルース」をリクエストされた事があった。
聞いた事はあるけど歌ったことのない鶴田浩二の歌、酔いにまかせて歌った、うまい筈はないのだが村長のお上さんは
「あちらのお客様から」と女性を指をさし お銚子が届いた。
ブタもおだてりゃ木に登るとか、カラオケにはまったのは あれがきっかけかもしれないな と思えるのである.

 一度熱海のすし屋でお目にかかっただけの方だが、妙に印象に残る言葉を残してくれた人だった。
「歌とか演歌は、誰がどんな歌を選んで どう歌いこなすかが本人の持っている”芸”なんだよ、河合くん」
彼は熱海で芸者衆に踊りを教えており日芸の日本舞踊の指導、SKDでの指導など僕との共通点もあった。

 このマンションンには83歳になるSさんが月に二度ほど来る,彼の歌う「おまえに」(フランク永井)が抜群にいい、彼は現役時代に脳梗塞を患って一年間入院したことがあるという、奥さんにかけた負担がこのエモーションに現れているのかに違いない。
”そばにいてくれる だけでいい 黙っていてもいいんだよ 僕のほころびぬえるのは 同じ心の傷を持つ
お前のほかに誰もない、、、。”と続く

”艱難汝を玉にす”とはこのことか と思わせるのである。
                                    完




カラオケ事始 

その頃、帝劇では佐久間良子主演で「唐人お吉」という芝居をやっていた、何回目かの公演だとかで盛況だったらしい、見る機会はなかったけど。
下田に取材に行った時には お吉の葬られている寺にもよってみた、歴史学者文学者など著名な方々が お吉の功績をたたえて立派な石碑が建てられていた。
身も心も異人に売った女として蔑まれ、はたまたハリスの体の具合が悪くなって、牛乳を欲しがり農家を歩いて牛乳をハリスに飲ませた事。
下田が牛乳発祥の地となったことなど、わが国開国に尽力した事など、今ではスマホで簡単に知ることが出来るけど。

事務所にあるマネージャーがモデルの売り込みに来た 仕事の話が終わると 何故か話題がカラオケになった。
このマネージャー初対面の緊張が取れたのか 口調は次第にオネエ言葉になっていく。
「あたしはねえ作詞も作曲もやっているのよ、教えてあげるわよ、歌いたい歌あるの?」
てな事になってなりゆきで 中目黒のカラオケボックスにつれて行かれた。「何?お吉物語!あれは難しいわよ、だけどアレを歌えれば他の歌は屁みたいなもんよ!」
伴奏が始まると、「マイクは小指を立てて持つのよ、着物を着ているつもりで内股にしなきゃあ駄目じゃないの」
とコーチを受けたのはこの二つだけ、後は彼いや彼女はビールにピザ、焼きうどんと次々に平らげていった。
それでも2時間 聞いた事がある歌を 存分に歌うことが出来ていい経験になった。

続く





カラオケ事始

 雑誌記者の石川君から「面白い店があるから飲みに行こうよ」普段おとなしい彼にしては珍しい。
連れて行かれたのは 新宿3丁目の小さな暗いバア 時間が早いせいか客は我々だけ、マスターが1人。
酔いが少し回ったころ石川ちゃん「マスター あの歌をお願い」と言って手を合わせた。

聞いた事のない歌だったが
”ハリスさんも死んだ 鶴さんも死んだ 今度は私に番なんだ、、、お酒だよ お酒おくれ!”
と絶叫したのだけが妙に印象に残った、こんな演歌があるのかよ、だけどなにやら実話らしい事は判った。
数ヵ月後ポパイの取材でアメリカに行ったことは既に書いたが、永い観光旅行的旅を終えてLAで散会した。
僕は1人でイワオの家を訪ねた、彼は15年前はバーテンをしていた、僕の撮影時のアシスタント、通訳ドライバーもしてくれていた。
その後写真をどこかで学び撮影を選ばずプリント屋LAカラーのオーナーになって成功していた。
「アメリカ人は結婚離婚を繰り返し、結婚パーティーをやるからパーティの写真をたくさんプリントしてくれる、こっちはたまんないよ」家を買いポルシェ(ポーシェ)に乗りラスベガスに通う為軽飛行機の免許も取っていた。
家に着くとすぐに「タカオ 今日本語放送をやっているぞ 見るか」とTVのボタンを押した、画面が現れると浪曲師の天津羽衣が「お吉物語」を歌いだした。新宿3丁目で聞いたあの歌だった、アメリカLAで聞く歌は何とも不思議な感覚だった。

                        続く

ミツオ君物語 その

 モデルもメイクさんもちゃんと化粧をして カラオケルームに現れたから どうも見違えてしまった。
歌はゼンゼン聴いたこともない歌だってけど 楽しそういかにも楽しんで歌っている風 歌うってそんなに楽しいのかよ。
ミツオ君が歌う前に飲み物が届いた、浪曲子守唄の伴奏が始まる、60を少し過ぎたと思える仲居さん 飲み物を テーブルに並べ終えると ドアの前で正座した、お盆を裏返して膝の上に載せ手拍子をとり始めた。   
”逃げた女房にゃ未練はないが お乳欲しがるこの児がかわい、、、”一寸ドスを効かせた声 下町っこ風な巻き舌
一節太郎風は見事さすがトリを勤めただけの事はある。
「貴方も好きそうだねえ、ひとつ歌うかね」と所さん腕をとって仲居さんを椅子に座らせる。
「むがしい 宴会歌手やってたっけ だばすごとでよくはあ うだったもんだべ」
「うんじゃプロでないかい 銭払わねえと歌えねえてか」とミツオ君
「とんでもねえ むがすのはなすだ」「ジャア聞かせてもらうべえ」とビールの入ったグラスを渡す、
河内男節 マイクを30センチも離して 腹から搾り出す声 元とはいえさすがに本職 歌詞には訛りのかけらもなく歌い上げた。

「河合さんも一曲位歌えるといいんだよな〜」最年長のオレが歌わないと座がしらけるって訳だ。
そうだカラオケの経験はないけど 山の合宿では下山の前日コンペでは 大声で歌ったんだっけ、30年も前の事だったが。

その後平凡パンチは廃刊となり、ミツオ君との仕事は無くなったが、編集者には珍しく高卒、だからなのか オレはどうせ出世はしないから という居直りなのか ズバズバ飾らない本音を吐いた、それでいてユーモアを交える話術
彼からは限り無く素敵な影響を受けた。
くたばる前にもう一度会いたい男でアル。
                               END

 

ミツオ君物語 その

 これはヤバイとばかりに運転手の所君は チエンを付ける事にした。
何か手伝おうとして外に出てみたが あんなでっかいタイヤ相手では手も足も出ない。
その作業が終わると所君車内に戻って 懐中電灯を手にして「一寸見てきますわ」の声を残して ホテルを探しに行ってしまった,まだ明るかったが日は山の向こうにあった。
残された我々、車中泊も覚悟したが誰も口には出せずにいた。
エンジンはかけっぱなし、暖房がよく効いて眠ってしまった、眼が覚めたらホテルの前、どうやら一酸化中毒は免れたようだ。

 翌日は生憎の雨、写真屋殺すにゃ刃物は要らぬ 雨の三日も降ればいい とは誰かが云っていたっけ。
憂鬱な気分で朝食の席に着いたが、女2人は何やらはしゃいでいる 「ミツオさん今日は撮影は無しよね」
「だったらさあカラオケやろうよ」「あのなあ ミツオさんはテレビで歌ったことがあるんだぜ」と所君
「ああ あれ聞いてた 平凡にいた時代にテレビの番組『平凡対明星 華の芸能記者恥欠き歌合戦』でトリ勤めたのよ」としゃべり出せば 宴会男の異名を持つミツオ君もう止まらない。こっちも覚悟するしかない。

続く
  







 









ミツオ君物語 その

 新聞社雑誌社の計6社、12人がアメリカ環境局の招きで 観光地を取材する事になった。
僕は平凡出版(現マガジンハウス)の林俊麿編集と同行する事になった、LAを発って八日目アトランタに着いた。
現地の商工会議所では 歓迎パーティーを開いてくれた、形通りの挨拶が済むと 無礼講となり元気のいいのが歌いだした、何という歌なのかさっぱり判らない歌が多かったが ビューテイフルサンデーはのりが良くダニーボーイは太い声でし、しみじみと訴えかけてきた。
日本人も誰か歌え!とせがまれても、新聞記者連中はほぼ優等生タイプ 遠慮しているのか恥ずかしいのか、カラオケではなく生バンドだから気後れもありかな、するとわが相棒 俊麿くんが何やらバンマスと話し合っていたが
歌いだしたのが
「知りたくないの」一番はコニーフランシス調に英語で 二番は菅原洋一調の日本語 三番は日米ミックスのごちゃ混ぜで歌って やんやの喝采を浴びた。
さすが社内で”ウタマロ”と呼ばれているだけの事はある、鮮やかに決めてくれた。

帰国後ミツオ君から呼び出しがかかった、頃はン十年前の四月の末である。
誰が考えたのかは知らないが、雪原をワイキキの浜辺と勘違いして 裸で日光浴を楽しんでいる女を 撮ろうと言うものであった。
最も海外ではヌーディストビーチがあちこちに出来たという ニュースは聞こえてきてはいた。
ロケバスをチャーターしてモデル ヘアーメイク を頼んで総勢6名 八幡平に向かった、山に差し掛かると雪が降り出し、やがて道も見えない吹雪になってしまったのだ。

                               続く

ミツオ君物語 その

 彼の趣味三番手はカラオケだった。
僕はカラオケにはトンと興味がなく、素人の下手な歌聞いてお義理の拍手するなんざあ どこが面白いのか不思議でならなかった。
根は音楽に対しての劣等感にあった、ピアノ ヴァイオリン ピアノ ハーモニカどれをとってもダメ、姉も妹も音大を出ているというのにである。  
そのイメージが変わったのは 中高の同級生、弓削に銀座のクラブに誘われてからである、彼は建材会社の営業部長になって交際費が使えるようになって、自慢をしたくてなのか僕を良く銀座に誘った。
数寄屋橋の近くの小さなビル 二階小さなBAR12坪程のフロアーに6組の応接セット ホステスが6人、店の制服を着ていた。
客は3組10人ほど、 我々がブランデーを飲み始めた頃 何やら伴奏曲が流れ始め 客の1人にマイクが渡された するとホステスが全員立ち上がったのだ。

”曇りガラスを手でふいいて ハイハイーパンパン”と合いの手と手拍子
”あなあた〜明日がみ〜えまあすうかあ アソーレ  パンパン”
”愛しいても愛してもあ あ あ人の妻 ドシタイ ドシタイ パンパン”
とくる迫力と調子のよさに面白さが加わって 客は全員が笑いっぱなし カラオケってこんな楽しみ方もあるのか、全く驚きのひと時としか言いようがなかった。

 そして次にカラオケに魅了されたのがなんとアトランタだった。

                                  続く

ミツオ君物語 その

 ミツオ君の趣味は競馬、ゴルフ、カラオケであった。
「明日のレースは絶対だー」と言うのは何度か聞いた、一口乗せてもらうよ、と何回か相乗りしたが 当ったためしはない。
ゴルフは社の野球チームではキャッチャー、鉄砲肩なんだぜと自慢する事は何度かあったので、背筋が強いらしいとは想像できた。
神奈川の名門コースの予約が取れたというので 平凡出版(現マガジンハウス)の編集者3人の中に入れてもらった。
打ち下ろしのミドルホール360ヤード、フェアウエイ右にバンカー、アマチュア用のトラップがある、前の組がそのバンカーから打ち終わって4人が歩き出した、キャディが「オナーさんいいですよ」

ミツオ君二度素振りをしてから ”バシッ”といい音を残して青空に向かって白球が飛び出した。
キャディが「凄い プロ並だわ!」と叫ぶ
ボールは前の組のすぐ後ろに落ち 四人の真ん中を割って前に転がってゆく、ビックリして振り返る四人組み スンマセンと頭を軽く下げてティーを拾う、キャディが凄いわと言いながら拍手、ミツオ君何食わぬ顔で、
「基礎がしっかりしているからね」とのたまう。

スコアや飛距離に拘らず 決してストイックにならず 自分も楽しみパートナーにも笑いを振りまく、素敵なゴルファーだ。
ミツオ君といっても今話題の塚原光男君とは訳が違う、間違えなきよう念のため。

                    
                                 続く

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