マドンナ昇天

 1964年東京オリンピックの年、ぼくはLAのコーヒーショップで働いていた。
仕事に慣れオーナーのスーも安心したのか、昼下がりの客の少ない時間に、「一寸出かけてくるわね」と曲がりかけた腰を伸ばしてどこかへ出かけていった、珍しい外出である。
夕方客が集まる時間には戻ってきたが、開口一番「日本の女も綺麗になったもんだねえ、、、顔も明るく都会的になってさ、」と驚いた様子「モンローような女」という映画を見てきたのだという。
そして盛んに真理明美という女優を褒める、最もスーは自分の過去を語らないから 想像ではアメリカに移住したのは戦前、驚くのも無理は無いのかな。

 帰国して雑誌社に顔がつながるようになった頃、漫画サンデーの岡部女史が「河合さん撮ってみたい女優いる?」
「いるいる真理明美ですね」と反射的に応えていた。そして後日真理明美のカルマンギアで湘南の海に、水着のモノクロ6ページを撮りに行った。
スーの評価どうりプロポーション抜群、表情の作り方も申し分なく、何よりも芸能人的な気取りが無く友達感覚ですっかりファンになってしまった。
その後ヌードも撮ったのだが、この時はとんでもないミスをやらかしてしまった、どううせ女優が始めから脱ぐわけはアルマイと、アメリカから船便で送り返した期限切れのフイルムを カメラに入れてあったのだ。
ところが彼女気風よくサラリと脱いでくれたから こっちもあわててシャッターを切るのに夢中になってしまった。
現像が仕上がるのが不安で待ちどうしかった事、あんなにイライラして待つ眠れない夜は無かった。
翌日の仕上がりはブルーのフィルターをかけたよう、岡部女史は「アラ クールじゃない素敵じゃないの!」と最大級の賛辞をもらった。

 後日山仲間の堀田が事務所にふらりとやってきた、彼は大塚商会の営業マン、お得意さんの会社の営業部長を訪ねると「堀田君 女はこうでなきゃあねえ」といって机の引き出しを開けると、真理明美のピンナップがドドーンと飾られていたという、その報告に来てくれたのだ。
その堀田は定年退職後夫婦でスイスを旅した後亡くなったし、わがマドンナの真理明美も昨日77歳で逝ってしまった。
    2人共忘れがたい思い出を残してくれた冥福を祈ろう。


静かな楽しみ

 莫迦な事故を起こしてから約一ヶ月、呼吸器外科からはもう来なくていいと言われ、
整形外科では、そろそろ月気離譽鵐肇殴鷂〆困任いい箸凌巴任鮗けた。
右手は120度まで上げていいと医者は言うが、180度までは上がるのだが下げるのがまるでダメだ。
ズボンをはくとき、便座を上げる時ビリビリっと電気が流れるように痛みが走る。
上げるほうは「先生 オシッコ」などとガキの頃 良く手を上げていたから筋肉が鍛えられているのだろう、
それに対して下に下げるのはダメだ、下ネタは苦手だったからに違いない。
医者には暫く静かにしていろといわれたが、右手が10%位しか使えないから静かな楽しみを見つけるしかない。

新聞雑誌TVが面白い話題を見つけてくれるので、まあ退屈しないで済んでいる。
殿が増長してなにやらやらかし、奥方もこれに習い、藩士達は「こらー ハゲ」と叫び「ナイスルッキング」と己惚れるているから、この田舎芝居は楽しめる。
それでも支持率30%を越しているというから、町民は優しいのか愚鈍なのかが判らん。
清涼剤と成るのは一冊の写真集「BEFORE THEY PASS AWAY」−彼らがいなくなる前にーだ、
イギリスのジミー ネルソンが地球の辺地の住む20の地域に住む 少数民族を取材した写真本である。
文明を拒否したのか、辺地で届かなかったのか、写真の構成力とそして世界の広さに驚き、感嘆させてくれるのだ。
素晴らしい写真家がいたことに 今夜は乾杯だ、いや まだ酒は飲めないんだなあ これが。





急がば回れ

 ”馬手に手刀 弓手にたずな 馬上豊かな美少年”
山ではよく歌った田原坂、あれからかれこれ60年、
馬手(右手メテ)に血気胸のホースとプラ容器、弓手(左手ゆんで)は点滴をポールから下げてリハビリである。
少し元気が出てくると人間欲が出てくるのか、飯が不味いタバコが吸いたいなどなど。
週末長男が見舞いに来てくれた。帰り際「この本は棄てられないんだよなあ」と一冊置いていった。
「たった一人の30年戦争」小野田寛郎著である、ルバング島で敵と戦い島民の目を逃れて 、ねぐらを転々と変え
てゆく様には胸が詰まる。
飯がどうのタバコが吸いたいと贅沢は言ってられない。
それにしてもこんなに優秀な男を ここまで洗脳したこの国とはいかに狂っていたのか、考えさせられてしまう。

退院のめどが付いた時には先生方にお願いして、近くの病院への紹介状を書いてもらった、
自宅から50キロある伊勢原まで通うのはつらい、自分で運転できないとあればせいぜい熱海か湯河原だ。
退院の朝は世話をしてくれた看護士さんたちが 代わる代わるに挨拶に来てくれた、皆キビキビと動くし美しい、
白衣の天使達だ。
最もマスクをしているから謎めいて見えるのは確かだが「お願い 又大きな事故を起こして戻ってきて、あなたがいなくなると病院の灯が消えたようになるわ」と目で訴えているように思える。
思えば伊勢原には妻の父母そして先祖からの墓がある、秋には墓参りに来ねばと病院を後にした。

 急がば回れだな。

ショートカット 

 ERには2日間いてその後は一般病棟に移された。
朝6時からは周りが騒がしくなり、7時からは血糖を測ります 体重血圧を量りますとせわしない。
我家は貧しいこともあって、10年前から一日2食と決めていたから、8時に配られる朝食は苦痛である。
病院食は味が薄いから半分も食べられれば 自分を褒めてやりたくなる。残しためしは紙に包んで駐車場の先に流れている小川に持っていく、30センチはあろうかという鯉が2〜30匹、飯を待っている。
退院時の体重は500グラム減だからその分鯉が太った事になる。
三日目には事情を知っている デザイナーのせいの君が見舞いの来てくれたらしいのだが、胸に刺さったチューブから流れる血を見て、寝ているから起こすのも気の毒 と見舞い袋を置いて帰ってしまった。
せめてもう少し気を使って、タバコの一箱も枕の下に忍ばせてくれればよかったものを。
5日目からはコンビニ探しを始めた、守衛の目はナントカ誤魔化して病院の敷地内を出る、炎天下人っ子一人歩いていない、野生のマリファナもありそうも無い。
梨畑の影から一人の娘「近くにコンビには無いかな?」と聞けば「近くには無いわねえ」と答える。
聞けば東海大学で福祉を学んでいるのだという「私木村といいます、あなたのお名前は?」と聞く、脇道からもう1人同級生が現れて「コンビニは病院の中にあるわよ。サア帰りましょう」と両腕を取らんばかりで病院まで連れ戻された。
あれはキット ボケ老人が病室を抜け出して来たに違いない と勘違いされたのか?
その後同じ道を歩いてみたら 彼女にあった30m先にコンビニがあったのだから。

                         まだまだ続く




ショートカット 

 飛ばされて暫くは気を失っていたのではないか、
気が付けばバイクは倒れエンジンは止まり、右足はバイクの下敷きとなり濡れた泥の中にあった。
右手を支えに起き上がろうとしたがまるで力が入らない、左てでハンドルつかみようやく立ち上がれたが、見える景色がなんかおかしい。
真ん中だけが凸レンズを使ったように大きく、そしてそこだけが回っているのだ。
エンジンが一発でかかってくれたのがとにかく嬉しい。
体は脂汗が流れている、深呼吸を繰り返しなんとかスタジオにたどり着いて一息つけた。
家まではどうやって帰れたのかは記憶に無い、ただ右手に来る振動が痛かったことは覚えている。
家にかえれたのは6時半頃、異変を感じた妻はすぐに湯河原病院に電話し、様子を話すと「外科医がいるからすぐにいらっしゃい」という。
消灯が済んで真っ暗な病院、一箇所だけに明かりがついて看護士の木村さんが待っていてくれた。
外科医の泰井先生は小田原に帰宅した レントゲン技師を呼び戻す手配まで済ませていた。
結果はぼくには言わなかったが、、肺に骨が刺さって肺に血がたまりだしているという、そのまま血がたまれば呼吸困難になる。
すぐに救急車が呼ばれ呼吸器外科の医師がその時間にいる、伊勢原の東海大病院のERに運ばれた。
翌日肺に穴が開けられ血が吸い出された、そして11日間の病院生活となる。
そこで会得した技は電動ベッドの使い方、そして尿瓶の上手な使い方である。

ショートカット 

 A地点からB地点までの移動は3通りの道がある。
獣道を下って2キロ弱、バスも通う相模湾を望む見晴らしのいい道を走れば18キロ。
つづら折を楽しみながら湯河原経由ではこれもまた約18キロ。
さてどの道を選ぼうかYAMAHA 原付JOGにまたがって考えた。
安全ルートを選ぶのはおれの柄じゃない久しぶりで獣道を走ってみるか。
20年前には車で降りたことがあるし、5年前にはLETU4でも降りている、海抜では250辰硫爾蠅澄
Aは陶芸家小坂さんの岩戸釜、BはスタジオK−2である、、バイクには昨日東京で買ってきた野鳥の餌と紺魚の餌が積んである。
やまがらと金魚の歓ぶしぐさも見たいし、、、。
500mも下ると轍は消え雑草のオンパレード、、道なき道を進むと左側は絶壁に近い崖、こんなにヤバイ道だったかなあと恐る恐る下って行けば、大きな倒木が道を塞いでいた。
太い幹は半分地面に埋まり、枝はナントカくぐれるくらいのアーチ状、ハンドルを両腕で抱えて前輪を越し後輪は重く持ち上げるのは無理と判断してアクセルを吹かした。
木の皮が剝けたのかタイヤがスリップ、バイクごと空中に放り出されてしまった。
その晩生まれて始めて救急車に乗る事になるとは夢にも思わなかった、もう少し重症ならドクターヘリだったそうだ。 


                        続く


甘夏狩り

 竹の子狩りがやっと終わった、と思ったらお次は甘夏狩りである。
別荘の持主に電話「甘夏が実りました 採って送りましょうか」といえば あの美しい奥様は
「先週息子が10個ばかり採って来ました、河合様の好きなようになさって下さいまし、、、主人はとても熱海まで行かれる状態ではありませんのよ」
83歳で寝たきりになってしまったというのだ。
 
 先ずは別荘の周りに刈払い機をかけ芝には化成肥料を散布、甘夏をいただくホンのお礼の真似事である。
老木であって大木、高い所に実った実は梯子と 高切りバサミを使っても届かないどころか下からは見えない。
テニス仲間の若手S君に手伝ってもらって、チェンソーで上を切り枝を払い来年は採りやすくなるだろうと、少しはましになったはずだし、下草刈も済ませた。
収穫の日は医者の未亡人、元旅館の経営者未亡人、陶芸家で句会の主が来て四人で汗を流した、中には朝六時におきてかつサンド、エッグサンドを作ってくれたご婦人もいたからムードはピクニックである。
一人当たり80〜100個は持ち帰れる、ある人は姪がペンションをやっているから、そこでマーマレードにする、
マンションの経営者は入居者に配る、又ある人は絞ってりんごや野菜を混ぜてジュースにするのだとか。
我家では紅茶にマーマレードを入れてジャムティー、毎日飲むから一年分のマーマレードを作らねば、 これにレモン汁を垂らして飲むと旨いんだよなー。
家に帰ったら なんとシャトルバスの運転手さんからコンテナ2杯の甘夏が届いていた、さてどうしべい。

    さて次は松茸狩りだな。

わが家の竹取物語 その2

 友人知人あわせて約20人が竹の子取りに来た。
1人5,6本掘ったとすると合計百本はゆうに超える勘定になる、
我々の他にも早朝軽トラが大分入っていたというから、想像を超えた本数になる筈。

竹の子は掘るのか切るのか、採り方は個人差があり色々だが、孫の梓は個性的なぶった切りだ。
細めのスコップを自分で持ち、自分で見つけて竹の子の脇にスコップを差し込む、背に体重を乗せて力んでみるが、
小学校1年生の体重では無理。
「手伝おうか?」 「いい自分で掘る」とスコップを水平にして地面すれすれにひっぱたき出した。
10数回叩くと薄黄色の中身が見えてくる、そこを又叩いて両手で向こう側に押すとギグイと音がして一丁上がりだ。
腰の入れ方がサマになっているから,この分なら女土木作業員にはなれそうだ。
夕飯にはすき焼きに入れて食べたが、自分で採っただけに大満足の様子、旨そうに食べていたっけ。

 そして今日も採りに来た友人がいる、例年ならもうシーズンは終わっている筈なのに。
「沢山取れたから置いていきましょうか」「いやウチは竹の子生活しているから共食いになる、イランよ」といえば
「え〜っ 竹の子生活てなんですか?通販生活なら知ってるけど、、、」
こいつら幸せな時代に育ったんだなあ。






わが家の竹取物語 その1

 大きく育った大手鞠が緑色の花をつけ始め 白に変わって花びらを落とし始めた頃に 竹取の季節が終わった。
知人友人テニス中間あわせて述べ20人ほどが竹取に来た事になる、御蔭で皆さん飲み物をペットボトルで持ってくるからスタジオの冷蔵庫が一杯になってしまった。
CEO夫婦が来た時には途中から電話あり「急坂でタイヤがスリップして登れない」という、
「安物の車で来?」たんじゃないのと冗談を言えば 「値段は高かったけど走りは安物かあ」と返してくる。
トヨタレクサス450である。
居合わせたS君と急坂に駆けつけると、後ろ右のタイヤが空転して白い煙を吐いていた。
トランクを開けて石垣の石を3,4個載せればいいのだが、石の返却が面倒だ、かといってタイヤの空気を抜けば
CEOが嫌がるだろうし、、、な。
とりあえず体重の重いS君を右後ろに乗せ、ご夫妻も後ろの席に移ってもらった。
ぼくが運転席に座りエンジンをかけようとしたらキーが無い、キーを挿しもむ穴も無い、分けも判らずボタン触ったら座席が後ろにひっくり返ってしまった。
ブレーキを踏みながらスタートボタンを押せばいいという、その通りしたらエンジンは掛かったらしいのだが音が小さくて音では判別不能だ。
ギヤをロウに入れ方、サイドブレキーのはずし方等、後ろにいるCEOに聞かなければならない、まるでUFOを運転させられているよにしてスタジオにたどり着いた。
アーいやだ58年の運転で身に付いた感覚を修正しなければならないなんて。高級車高価車はおれには合わん。
身分相応並の車が一番いい、竹の子が教えてくれた教訓であるろう。

筍狩り

 ミモザが散り桜が散りエリカが精彩を欠いてゆく頃、竹の子狩りの時機到来となる。
我らがテニスグループの若手、S君が竹の子狩りを今か今かと待ちわびている。
彼は新潟出身の56歳デザイナーだという、背が高くガッチリした体格 色黒で髭面、デザイナーといわれなければマタギと間違えられるほどにワイルド。
二月の終わりから毎週土曜日になると「竹の子はまだですかね?」を繰り返し聞いてくる。

「猪が土の匂いをかいでその堀跡が出来たらそれから一ヶ月だな」
「野菜売り場に竹の子が並んで 熊本産鹿児島産とかいてあったら その後3週間だな」
「「何桜が散った?ジャアまああと2週間かな」
「猫に盛りが付いてギャーギャー騒ぐようになったか?」「ウチはマンションだから猫の声は聞こえません」と彼
「じゃあ娘たちがコートを脱いで 胸のふくらみが目立つようになったら山に入ってみな」

待ちに待った竹の子狩りの日、一回り以上は年が違いそうな切れ長の目をした美人妻を連れてきた、ツルハシとシャベルを使って格闘する事三時間、熱海の大きなゴミ袋を三つ下げて山から下りてきた。
 汗まみれになったドクロマークの入った黒のポロシャツ、黒で四駆のポルシェにのって意気揚々と引き上げていった。
これから竹の子の写真を撮って嫁の実家の送るんだという、羨ましい若さだ。

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