ミツオ君物語 その

 新聞社雑誌社の計6社、12人がアメリカ環境局の招きで 観光地を取材する事になった。
僕は平凡出版(現マガジンハウス)の林俊麿編集と同行する事になった、LAを発って八日目アトランタに着いた。
現地の商工会議所では 歓迎パーティーを開いてくれた、形通りの挨拶が済むと 無礼講となり元気のいいのが歌いだした、何という歌なのかさっぱり判らない歌が多かったが ビューテイフルサンデーはのりが良くダニーボーイは太い声でし、しみじみと訴えかけてきた。
日本人も誰か歌え!とせがまれても、新聞記者連中はほぼ優等生タイプ 遠慮しているのか恥ずかしいのか、カラオケではなく生バンドだから気後れもありかな、するとわが相棒 俊麿くんが何やらバンマスと話し合っていたが
歌いだしたのが
「知りたくないの」一番はコニーフランシス調に英語で 二番は菅原洋一調の日本語 三番は日米ミックスのごちゃ混ぜで歌って やんやの喝采を浴びた。
さすが社内で”ウタマロ”と呼ばれているだけの事はある、鮮やかに決めてくれた。

帰国後ミツオ君から呼び出しがかかった、頃はン十年前の四月の末である。
誰が考えたのかは知らないが、雪原をワイキキの浜辺と勘違いして 裸で日光浴を楽しんでいる女を 撮ろうと言うものであった。
最も海外ではヌーディストビーチがあちこちに出来たという ニュースは聞こえてきてはいた。
ロケバスをチャーターしてモデル ヘアーメイク を頼んで総勢6名 八幡平に向かった、山に差し掛かると雪が降り出し、やがて道も見えない吹雪になってしまったのだ。

                               続く

ミツオ君物語 その

 彼の趣味三番手はカラオケだった。
僕はカラオケにはトンと興味がなく、素人の下手な歌聞いてお義理の拍手するなんざあ どこが面白いのか不思議でならなかった。
根は音楽に対しての劣等感にあった、ピアノ ヴァイオリン ピアノ ハーモニカどれをとってもダメ、姉も妹も音大を出ているというのにである。  
そのイメージが変わったのは 中高の同級生、弓削に銀座のクラブに誘われてからである、彼は建材会社の営業部長になって交際費が使えるようになって、自慢をしたくてなのか僕を良く銀座に誘った。
数寄屋橋の近くの小さなビル 二階小さなBAR12坪程のフロアーに6組の応接セット ホステスが6人、店の制服を着ていた。
客は3組10人ほど、 我々がブランデーを飲み始めた頃 何やら伴奏曲が流れ始め 客の1人にマイクが渡された するとホステスが全員立ち上がったのだ。

”曇りガラスを手でふいいて ハイハイーパンパン”と合いの手と手拍子
”あなあた〜明日がみ〜えまあすうかあ アソーレ  パンパン”
”愛しいても愛してもあ あ あ人の妻 ドシタイ ドシタイ パンパン”
とくる迫力と調子のよさに面白さが加わって 客は全員が笑いっぱなし カラオケってこんな楽しみ方もあるのか、全く驚きのひと時としか言いようがなかった。

 そして次にカラオケに魅了されたのがなんとアトランタだった。

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ミツオ君物語 その

 ミツオ君の趣味は競馬、ゴルフ、カラオケであった。
「明日のレースは絶対だー」と言うのは何度か聞いた、一口乗せてもらうよ、と何回か相乗りしたが 当ったためしはない。
ゴルフは社の野球チームではキャッチャー、鉄砲肩なんだぜと自慢する事は何度かあったので、背筋が強いらしいとは想像できた。
神奈川の名門コースの予約が取れたというので 平凡出版(現マガジンハウス)の編集者3人の中に入れてもらった。
打ち下ろしのミドルホール360ヤード、フェアウエイ右にバンカー、アマチュア用のトラップがある、前の組がそのバンカーから打ち終わって4人が歩き出した、キャディが「オナーさんいいですよ」

ミツオ君二度素振りをしてから ”バシッ”といい音を残して青空に向かって白球が飛び出した。
キャディが「凄い プロ並だわ!」と叫ぶ
ボールは前の組のすぐ後ろに落ち 四人の真ん中を割って前に転がってゆく、ビックリして振り返る四人組み スンマセンと頭を軽く下げてティーを拾う、キャディが凄いわと言いながら拍手、ミツオ君何食わぬ顔で、
「基礎がしっかりしているからね」とのたまう。

スコアや飛距離に拘らず 決してストイックにならず 自分も楽しみパートナーにも笑いを振りまく、素敵なゴルファーだ。
ミツオ君といっても今話題の塚原光男君とは訳が違う、間違えなきよう念のため。

                    
                                 続く

ミツオ君物語 その

翌日会ったのはYと言う副編集長、年は10歳ほど上か 言葉使いも身振りも東北を感じさせた もう既にポジは何枚か切り取ってあり、「これを8ぺ−ジで使わせてもらうよ」
と残りにフィルムを僕の方に滑らせてきた。
「エッ!これを僕が持っていたら他に売ってしまうかも知れませんよ」
「君が自費で撮って来たもんだ どうしようと君の勝手だ」恐ろしくクールだ、その後一年ほどこのYさんと仕事する事になった。
のだが彼は酒乱の気があり後に大喧嘩する事になる。
最後の入稿を済ませて、これでこの会社ともお別れか、、、としょんぼり玄関を出るとミツオ君とバッタリ、しょぼくれた理由を話すと「じゃあ 俺の所に来ればいいじゃん」

おいおい本気かよ、あのなあ 上司とトラブッタ下請けを使えば 更迭か出向させられるんじゃないのか。
いや これは池井戸小説の 読みすぎかも知れないんだが。
ケロッとこんなセリフをはくとは 上司の意向なんてまるで気にしていないような表情と素振、気に入った、この男なら面白い仕事が出来そうだ。
その後何回か仕事をして順調だった。
次の撮影打ち合わせは、校了が終わった編集部室の彼のデスク、部屋にはほとんど無人状態、あわただしい靴音がして40がらみの男がとびこんできた。
「ミツオ君 河合さんていうカメラマンを紹介して欲しいんだけど」とその男、ミツオ君少し考えるふう、
「いいけどさあ 彼は気難しいよ まあよく言えば芸術家肌だな、、、な」と話をオレに振る、
「うん 見栄っ張りで自尊心が強いっていう噂だからなあ」と合せる
「カメラマンは皆そうだよ そんなの気にしないよ、だからたのむよ」
ミツオ君徐に「じゃあ いいか!こちらが河合さん そしてこちらがポケットパンチ副編の金森さん」

とぼけた男である。
                         続く







ミツオ君物語 その

 本郷専務は雲の上の人、社内で挨拶くらいはした事があるけど 口を利いたのはLAが初めてだった。
「良く会社を辞めたねえ」が挨拶代わりだった、口数の少ない人である、よく集英社を辞めたな サラリーマンでいれば 一生安泰に暮らせたのに、と言う意味か?それとも 若いのにいい度胸してるじゃないか?の褒め言葉なのか判らなかった,がこんな時にはプラス思考に限る。
専務に頼めば売り込みは簡単だろうに それは何故か出来なかった。
官僚のおやじが 東京医大に息子の裏口入学を 頼む様に似ていないか と思った訳ではないが直接プレイボーイ誌に電話してみた。

グラビア担当の高田と言う人が出て「今日のスケジュールは一杯なんでね 明日以降又電話してくれるかなあ」
以降ということは明日か明後日か、まさか遺功ではあるまいが、
声の感じでは このテーマに感心がないな と判断、平凡パンチに電話してみた。
 竹川と言う人が出て内容を話すと「すぐもってきてくれ」となり、彼に写真を見せると「僕を信用して一日だけ預からしてくれないか?」男らしい骨ばった顔だが雰囲気は柔らかい、写真を預ける事にした。
帰宅すると伝言があり 明日昼前に編集部に着て欲しいと話は早かった。

翌日会ったのはYと言う副編集長、年は10歳ほど上か 言葉使いも身振りも東北を感じさせた もう既にポジは何枚か切り取ってあり、「これを8ぺ−ジで使わせてもらうよ」
と残りにフィルムを僕の方に滑らせてきた。
「エッ!これを僕が持っていたら他に売ってしまうかも知れませんよ」
「君が自費で撮って来たもんだ どうしようと君の勝手だ」恐ろしくクールだ、その後一年ほどこのYさんと仕事する事になった。のだが彼は酒乱の気があり後に大喧嘩する事になる。
最後の入稿を済ませて、これでこの会社ともお別れか、、、としょんぼり玄関を出るとミツオ君とバッタリ、しょぼくれた理由を話すと「じゃあ 俺の所に来ればいいじゃん」

                           続く




ミツオ君物語 その

 船橋に住むミツオ君から 今年も梨が届いた 豊水の大玉である。
彼は今はなき 平凡パンチの編集者で僕の担当でもあった、パンチが廃刊になって30年、ミツオ君が退社してから8年という年月がたつのか。
彼はチャキチャキの江戸っ子気質 歯に衣を着せず上司にもずけずけ物申すが 不思議と憎まれない、羨ましい徳を持った男である、年は一回りほど下だった筈だ。

 LAに渡る前 神田神保町にある集英社に籍を置いたことがある、東京オリンピックの前の年だったなあ。
どこでどう調べたのかLAまで集英社から電話があり、本郷専務がLAに来るという、大田博之と言う若い人気俳優と一緒,なんでも生みの母がカリフォルニアにいて、再開シーンを撮れと言うのだ。
その仕事が済んで皆でラスベガスへの旅行を楽しんだ。

 帰国してヌードの撮影にはハマッタいた僕は モデル探しに苦労していた、そんな時にタイから一時帰国していた義弟が、タイに来れば可愛い子がうウジャウジャいるよ、と言って又タイに帰っていった。
騙されたつもりでバンコックに行き、ヌード ファッション 町の様子等5週間滞在して100本ほどのフイルムをまわして帰国した。
そして二ヶ月してタイのチェンマイで 玉本と言う男がなにやらヤバイ事をやらかしたらしい、幼妻7〜8人はべらせて云々と連日新聞が取り上げるようになった。
写真を売るなら絶好のチャンス!とばかりに雑誌に売り込み開始を始めた、先ずは本郷さんを頼って集英社のプレイボーイか。
      
                                  続く

               


孫の手

あさひるよる字ここに本文を記入してください。


 文章の順番が逆になってしまった、


写真のアップロードが苦手だから 嫁が来たときにやってもらう不甲斐なさだ、許されよ!

梓はひらがなだけでは物足りないのか、我家に来るなり白紙のステッカーに絵を書き出した、話しかけても上の空
とにかく集中すると周りの話掛けにも耳を貸さない、イヤ聞こえないらしい。
あさ ひる よる ねるまえを絵にしてくれたが、、山の谷間から登る朝日なんて見た事あるのかなあ、、世田谷の住宅密集地に住んでいて。

学校の課題で書いた防災の日の”救急車か消防車”に消防車を書いて 9月には消防庁から表彰を受けるらしい。
ねこ科の動物が怒った時に背中を丸めて いかにも飛び掛る仕儀さのように 消防車も背中を丸めて飛び出さんばかり、よくもまあ審査員がこの絵を選んだものだ、梓が自信をつける筈である。 

孫の手

あさひるよる絵まご ここに本文を記入してください。


今日は敗戦記念日である、誰が言い間違えたのか「終戦記念日」とは笑わせる。
73年前ぼくは疎開先である宮城県の片田舎、分教場の校庭で玉音放送を聞いた、この反省声なら焼かれた我家も 国が何とかしてくれるだろう、と大甘な考えはさすがに7歳と言うべきなのか。

 ガンの治療入院から我家の戻ると、息子一家が見舞いに来てくれた。
孫の梓はちょうど7歳、飲む薬の小分けしている妻の手伝いを始めた、小さな袋にあさ、ひる,よる、ねるまえと
ステッカーに書き袋に張るのだ。
左利きの7歳が こんなに元気ある字を書くとは予想を超えていた。
こんな幸せ 戦いなき時代が長く続いてほしいものである。



見舞い客

 ついニ三日前 この建物の管理組合の理事長をしている S君夫婦とエレベーターに乗り合わせた。
その奥さん僕の顔を見るなり ビックリ顔「あれー」と言ったきり。七階で降りると「その節は見舞いに来てくれてありがとう」と言えば「、、、すっかり元気に、、、なられて、、、」と驚いた様子だった。
病室にいる時沢山の見舞い客が いっぺんに来てくれた事は前に書いたが、退院後も色々と面倒をかけている。
退屈だろうと池波正太郎の本を貸してくれたり、カラオケ大会を開いてくれたり、知人から負かされている甘夏の木に肥料をまいてくれたり、やせこけて大風呂に入るのは抵抗があると言えば 我家の温泉に入りにおいでと誘ってくれる。妻の友のご主人は伊勢原近くに行ったからと 養鶏場から2ダースの生みたてたて卵を届けてくれた、これで6回目かな。

 人徳があるとか 人望があるとかの人 ならさもありなんと思えるのだが、このオレがどうして皆が親切にしてくれるんだろう、と不思議なのだ。
ひとつ考えられるのは ガン=死 と思い込んでいるのではないかなということだ、ガンと皆が知っているわけではないだろうが、
ガンか あいつの余命もいくばくもないな、怨まれてあの世に引っ張り込ちゃあ たまんないからなあ。とは考えすぎか。
昨日朝おきてみると食卓に置いたケイタイがピカピカ、開いてみるとテニス仲間の大場昌子さんから「河合さんは食が進まないと伺っておりますが トマトはお好きですか お好きならわが庭で作ったトマトをお届けします」とある。
「トマトと大場昌子さんは大好きです」と返信、
”監獄に入るか大病をしないと人生は語れない”とは松下幸之助の言葉、大病して良かったわけでは決してないが。

降霊経験

 風呂友の佐藤さん同期会で 銀山温泉に行ってきたとかで 土産をくれ本を貸してくれた。
彼は熊谷に住み 月に二度ほど夫婦で湯河原にやってくる、僕が骨折で入院、退院した時には風呂では背中を流してくれるほどに親切、同じ年なのに、、、。
 彼が貸してくれた本は浅田次郎の「降霊会の夜」主人公は小学生学校の帰り道が同じ方向ということで、幸せの薄そうな転校生と友達になる。頃は昭和30年代か敗戦からの復興期である、
そのおやじは車にぶつかって 思わぬ慰謝料が入ってからは飲んだくれ、パチンコに狂う、やがて息子を当たりやにして死なせてしまう。
そして40年後 霊を呼ぶことが出来る 外国の婦人と会い降霊会となるのだが、、、。
体調の悪い時にこんな気持ちの悪い本読んでられるかよ、と放っておいた、食卓においてある本を妻が見て「貴方にも霊が来たっていってたわよ」という、覚えはない まるっきり。
入院して二日目だというから麻酔が聞いていたのかも、それにしても「記憶にございません」ロッキード裁判の小佐野賢治か モリカケで国会に呼ばれた官僚と同じ答えしか浮かばない。

 そう言われてみれば、、、ベンチに座っている僕の右横におじいちゃん、左には妻の父、義父がいたような様子が線画で見たような、、、気がしないでもない。
不思議がった妻はその様子を風呂友にすると
「お宅のご主人 話しかけなかったわよね!話しかけたら連れて行かれたわよ」

黄泉に連れて行かれたら 少しばかりだが まだこの世に未練が残るからなあ。







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