大麻考 

 北海道へロケして撮影が無事終わり、さあ飯でも食うべえとなって町外れのすし屋に入った。
「ラッしゃい!」といきのいい板さんの声に、ノリのいい編集子は、お絞りで手を拭きながら「珍しくて旨いものあるかな?」
「何でもありますよ」
「じゃあ大麻のアブリをもらおうか」
「旦那 急に大麻と言われても 寿司やにゃあおいてませんぜ 来る前に電話でもいただければ 採っておきますがねえ」と冗談とは思えない顔で云う。
「アラ 大麻が欲しかったらインドに行けばいくらでも野生で生えているわよ」とモデル嬢。
まあインドまで行かなくっても 国内でも探せば見つかるかもしれない、なにしろ戦時中は衣料やロープに使うのに栽培を奨励したのだから。

それにしてもどんな奴がタバコのように煙にして吸い込んだんだろう、どくだみや長ネギも試したのかな、ふぐを毒持ちと知りつつ食い意地を優先した男達のように。
覚せい剤のように習慣性はないし、視覚聴覚が鋭くなって異次元に遊ぶ事はできる、只自制心の無い者がやたらに手を出せばヤバイ。
オレは鳥になったと七階から飛び降りたり、出刃を持って人を刺したくなったり 車を走らせたら大変な事になる。
研究が進めば欝病の治療以上に役立つとは想像できるが、まだまだ時間が掛かるだろうなあ。




老人力

 朝食に何を摂ったか忘れていても 昔の事はよく覚えているのが 老人脳だとか。
クラス会への参加通知は出したのに 全く覚えていない。
幹事の三上から電話があった時に 「案内状が来ないぞー」といえば「お前の返信は今日見てきたぞ、参加に丸印がしてあったな 河合ボケたのか!」
言い訳させてもらえば クラス会通知なんぞは通常往復ハガキ 今回は何故か丁重にも封書であった、往復ハガキにはさみを入れた手の感覚がない筈だ。
男は脳で考え 女は子宮で考えるらしいが おれは手で考えていたのか? と自分を納得させる。

 ご幼少のみぎり久ヶ原幼幼稚園に通っていた 近所の子たちが5,6人集まっては 登園するのだがそこには体の大きな女の子がリーダ格で引率 声が太く髪は後ろを刈上げにしていた記憶がある。
疎開先から戻って6年2組に入った時に、ああこの子だったな と思えたのが新沼友子だった。
体が大きく声が男の子のように太く やはり髪を刈上げにしていた、話をするチャンスもなく、中学では別れ別れになってしまって66年、クラス会で逢えればとの願いもむなしく、、、。
彼女からの返信は「母は体調がすぐれずクラス会に参加できません、」と息子の代筆ハガキが届いていた。

 テニス仲間の長老は83歳 奥沢小学校のクラス会を二ヶ月に一回、有楽町界隈に集まるという。
義母は90歳 御茶ノ水のクラス会は2年前から途切れているという、手書きで案内状を出せる幹事がいなくなったという。
さて我々はいつまで続けられるのか?来春 箱根経由で熱海に来る予定はしているらしいが。 


6年2組クラス会

 大田区立久が原小学校 6年2組のクラス会を渋谷でひらいた。
前にも書いたがこの学校には入学式と 卒業式の前3ヶ月しか在籍していない。
戦火が激しくなり宮城県に疎開し、家が焼かれ再建した家に戻れたのが6年生の時だったというわけだ。
2組は60人,三年の時から同じ顔合わせで同じ先生だったというから 兄弟のように仲がいい、そこによそ者が入っても迷惑だろうと思うが 幹事の三上は「お前が来ないと火が消えたような会にる」とかナントカ旨く載せられてしまう、おだてに乗せられやすいオレの本性を見抜いている。
 会場は渋谷エクセルホテル東急25階の和食屋、男10人女6人、60人の37%の参加となった。
乾杯酒はワインに決まったが ノンアルコールワインを希望したのが 半数の8人だとは驚きだった。1人2分の近況報告となったが、社長を退任して相談役になったという発言意外は、心臓バイパス手術をして2日前に退院した、
女房に死なれて2年 やっと1人暮らしになれた、アル中になって糖尿を発病したとか暗い話が続く。
私の番になって「ぼくのような末期高齢者は、、、」といえば前に座る女性が真剣な顔で「後期高齢者っていうのよ」と横槍を入れてくる(これは横槍ではない、立槍か)
 一段楽した所で一服しようと「一服するぞ!誰か付き合うか?」と聞けば誰も手を挙げない返事なしなのだ。
まるで宇宙人でも見るような顔を一斉に向けられた、
 「酒の飲まず タバコも吸わず 百まで生きたバカがいるってか!」と最後屁をかまして5階まで下りた、ああ嫌だ 冗談も通じずセコイ所で罪人のようにタバコを吸わなければならないトウキョウなんて。

福祉国家

 この時期自分でも妙にむかつく記事が新聞に出る、水俣病のその後60年というもの、
東京オリンピックより水俣病患者の救済が優先事項ではないのか、今も1500人以上が救済を受けずに苦しんでいるという。
一企業の責任ではなくもうこれは国の責任だろう。
これで好くも首相が笑顔で外国を訪問で出来るものだと感心さえしてしまう。
自分では何も出来ない犬の遠吠えだが、この思いは何千人いや何千万人だろう。
最も外国から指摘されないと国内で評価されない温床のある国、ノーベル賞が決まるとあわてて文化勲章授与となるんだらかだらしない。
後追いで文化勲章なんていらねえヨ、なんて傑物はいないものか? いないだろうなあー。


 追 伸

上の文を今月一日に書いたら、三日にはNHK「クロ現」で水俣病が水俣市だけではなく、山間部にも患者がいるが
 市民意外は水俣病と認定されていないという。
認定される為には 40年前に頻繁に水俣市に通っていた証拠と 家計簿等で証明する必要があるという、何とも現実離れいや認めたくない悪意のある嫌がらせである。
福島の自宅に戻れない15万人、これで東京オリンピックとは 世界に恥をばら撒くつもりなんだろうか。




真面目一筋

 東大出のうら若い女性が過労で自殺したという。
ワタミかと思ったらなんとこれが天下の電通だというから驚く、そういえば前にも過労で自殺した社員がいたっけなあ電通には。
私の知っている時代には、社長は連日連夜の接待攻勢でメタボ状態、下々は月に100時間を越す残業てえのは聞いた事がある。
まるで北朝鮮状態だな。

その後の親御さんの心痛を思えば 自殺なんて出来ないと思うが、そんな事を考えられないほどに参っていたという事か、酒 スポーツ マリファナの体験はなかったに違いない。
酒とマリファナはどの位呑めば、又は吸い込めば吐くのか意識がなくなるのかは体が覚える筈、登山でも同じようなもんだ、ペンとカメラしか持ったことがないのに、30kを背負わされてどこまで続くか判らない峠を歩かされれば
肩にザックは食い込み、靴擦れしたナーゲルで豆が潰れて骨が出ていても痛みは感じなくなっている。
「カワイ前が空いたぞー! 後ろが風邪挽くぞー!」と怒鳴られたも全く何も感じられない。
ピッケルでケツをバシッと叩かれて意識が戻る、この繰り返しで誰かが先に倒れるのを待つしかないのだ。

一人が倒れたということは周囲の何十人 いや何百人かが何らかの異常をきたしている筈、仕事に命をかけるとは羨ましいが、それほど価値のあるしごとだったのかねえ、俺はご免だねそんな生き方は。

 男 前 その2

 鮫島の要望は6年目でやっと卒業できそうだが、卒業制作の作品が出来ていない なんとか1テーマ都合して欲しいというもの。
「まだ学校にいたのか?お前もよっぽど勉強が好きなんだな〜」と冗談もかませなかった、それほど声が切実だったんだ。
 学生時代に写真家の助手をしていて「ママが客を呼ぶ」という銀座のママが人気で繁盛しているバーのママ 6人を写真取材したことがある、元気が良くて人をそらさないで華があるママたち、
これなら彼の身近なテーマの筈、念のために神さまシリーズと二種類をプリントした。
 東京會舘喫茶室に定刻やってきた鮫島 なにやら着物のおばさんを同伴している、母親にしてはチト様子がおかしい50代後半か。
紹介もなく自己紹介するでもなく 少しだけ頭を下げてからの彼の横に座った まるで団地妻 オーラもなければ華も無かった。
流石にエスポワールノマのママたちの写真は出せなかった、他方の写真を彼は見て「有難う これで無事に卒業できるぜ」
と云うとおばさんが 白い封筒をそっと私のほうに差し出した。

 それから約30年後熱海の旅館での同期会、食事が終わり酒が出て宴会が始まった、酔いが回ると座も乱れだし
「おい鮫島!お前はいい男だからもてたんだろうなあー」「ノロケでも聞かせろよ!」と何人がが期待の様子、
怒ったようにガバッと立ち上がった彼「かわい風呂にいこうぜ!」と私の肩をつかんだ。
露天風呂で聞いた所では、卒業して出版社に入り、張り切っていたところが女性の多い職場、取材に彼といきたがる
女同士の喧嘩が多くなり、男はザマーミロとばかりに無視を決め込み 全くやってらんねーよ、と鮫島。
その頃は六本木でクラブの支配人をしているとの事だったが、、、、。女に翻弄された続けた鮫島
 笑顔穏やかなジジイになれただろうか、超男前の末期高齢やいかに 仮名にしてしまったが心当たりのある方は是非近況を知らせて欲しい。

 日大芸術学部写真科の名誉の為に申し添えると、こんな例は極まれなのであります、念のため。

 

男 前

 「ヤギ 羊 豚 俺は家畜とは付き合いはないな」
そんな会話の中で突然 鮫と付き合いがあったことを思い出した。
写真科の同期生 鮫島を思い出した、背が高く足が長く筋肉質のガッチリした体格にキリット整った顔立ち、一緒に歩くとすれ違う女性が皆ジーと見つめたほどのいい男だ。
こいつと歩くと俺は割を食うな と僻んだもんだ。
 江古田の喫茶店で話していると、女高生らがチラチラと目線を送る、彼女達の帰り際側を通ったので「こいつはサア日活のニューフェース サインもらうなら今のうちだぜ」といえば何人かが手帳を差し出したもんだ。
 あの頃 昭和32年は日活映画が流行っていたたからなあー。
鮫島は仲間のうちでは「あいつは銀座のバーの用心棒をしているらしいぜ」 「バーのママの紐らしい」 「紐はないだろう、ツバメじゃネエのか」などと噂されていた。

 36年ナントカ卒業した私は 神保町の小さな出版社に入り、その頃雨後の筍のように出現し始めた 新興宗教を取材していた、タイトルは「神様こんにちは」もちろんフランソワ サガンの「悲しみよこんにちは」のもじりである。
 そんな折 鮫島から社に電話がかかって来た 「河合頼みがあるんだ、、、なあ助けてくれよ!」

                                  続く

デルシアの息子

 冬になり雪の便りが聞こえてくると 妻は雪景色を見たがった。
もう30年ほど昔の話にはなるのだが その年は八ヶ岳で景色を見て軽井沢に泊まることにした。
 雪の八ヶ岳には学生時代の思いだしたくない 二度死にそうなめに合ったのだが まあそれはそれとして。

 小淵沢で降りて 野菜のマーケットを覗いているうちに 雪が降り出した、アッという間に積もりだして 念願の雪景色を作り出している。
その頃の首相が地方に一億円をばらまいた効果で 八ヶ岳山麓でも方々に露天風呂が開業していた。室内で脱いで素っ裸で20メートル先の露天風呂まで走る 寒がりの私にはチンポのちじまる思い 直後の温泉のありがたさ まさに地獄に仏とはこの温泉のことか。
晩飯も済ませて車に乗り込んだ頃には 積雪30cmライトは視界7,8m、ゆっくり走っても佐久まで2時間もかかるまい、前からも後ろからも車は来る心配はなし、CDを入れると灼熱のフラメンコギター、パコ. デ. ルシア
が大音量で鳴り出した、ドカ雪のパジェロの中 こんなに似合う音ッてあるのかよう、驚いたり感激したりですっかりデルシアの息子、パコデルシアのファンになってしまった。
 突然車は三叉路に出た 右折すれば佐久とりっぱな 標識があった、標識のおくにはそれは大きな鹿 立派な角を立てている、なにもこんな子供だましの剥製を、と思いながら右折、その時眼がキラリと車を追いかけた。
パナソニック ソニー製?
いや本物だった、アレほど立派な鹿は動物園、いや奈良でもお目には掛かれまい、パコを聞くと思い出すのはあの鹿の雪にたたずむあの雄姿なのだ。

来日公演には行けず 又の機会にと思っている内に 天に呼ばれてしまった。
このたびは文化村の映画で聞かせてもらった、ギター ピアノ それに歌でも天才とか名人と呼ばれる人は 早く天上のパーティに呼ばれるに違いない。
カラオケの練習もほどほどにしておかないと。



東北復興の予感

 コンビニでタバコを買って封を切りながら表に出ると、表に置かれたテーブルの周りの7〜8人の人だかり、
どうやら東北から来た観光人が、地元らしき人に何かを尋ねている構図、年のころは皆六十代半ばか後半。
「とつじの別荘はここから遠いんだべか?」から始まったらしい。
「とつじの嫁はここのしゅっすんだべえ、せいすん出だちゅうがびずんだったんがあ?」
「ぼくは東京から湯河原に住んだから詳しくないんだよ」
「おめえくにはどこだ?」「はつのへだ」
「だど思っただよ、東京ではだらいで定年退職すでここぬ根おどしてか」

幼少のみぎり疎開で宮城県の小学時代を送ったおれには、東北弁は守備範囲内と今の今まで思っていたが、こうも伝統深い正統派の言葉には圧倒されて口が挟めない。
「それぬすても都民もエライとつじを選んだもんなや、別荘は売りますびずつひんは美術館ぬ寄付するんでなかったか」
「嫁の雅美ちゅう女は三番目の女房、第三の男てえ映画はあったけが第三の女がや,後妻業のてえだなや」
「そんならよ映画ぬすたらおもすろかんべえ、甘利ッたっけあのだいじんをとつじゅ役でな、たかはたずん子のせがれ、ASUKAとかよ」
「三田よすこのせがれ、とぬかく警察ぬさわぬなったつら揃えてよ」「みのもんたもなぬかやらかいたんでないかい」悪乗りだ、東北のジジイにこの元気があれば、復興は間違いないんでないかい。

くずきり

 嬉しい事に曙のくずきりが暑中見舞いと一緒に届いた。
これは大好物だから早速冷やして小鉢に開けたのだが 送り主の名前がどうも思い出せない。
送り主がわからないまま 先ずは食べてみる意地汚さ は戦後モノのない時代に、ご幼少期を送った名残りに違いない。
添えられた手紙には撮影塾で教えられた事が 会社の役にたち 上司に大いに褒められたという内容。
彼の会社では年に何回かの催事があり、この様子を五人の社員に写真を撮らせ、これらを全部並べると、見せたい主題がはっきりしている、構図がしっかりして無駄がない、ワイドと望遠を旨く使い、アングルも上下を旨く使い分けていて他の人達の写真とはまるで違う、というのだ。
「君は誰かに写真を教わったのかね ?」
「いやー私の天性のもんですよ」とは言わなかったらしい、何しろ謙虚な彼の事だから。
これで歓喜と安心をイッショクタにして葛きりを食べれば、この暑さも乗り切れそうな予感。




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