カラオケ事始

 雑誌記者の石川君から「面白い店があるから飲みに行こうよ」普段おとなしい彼にしては珍しい。
連れて行かれたのは 新宿3丁目の小さな暗いバア 時間が早いせいか客は我々だけ、マスターが1人。
酔いが少し回ったころ石川ちゃん「マスター あの歌をお願い」と言って手を合わせた。

聞いた事のない歌だったが
”ハリスさんも死んだ 鶴さんも死んだ 今度は私に番なんだ、、、お酒だよ お酒おくれ!”
と絶叫したのだけが妙に印象に残った、こんな演歌があるのかよ、だけどなにやら実話らしい事は判った。
数ヵ月後ポパイの取材でアメリカに行ったことは既に書いたが、永い観光旅行的旅を終えてLAで散会した。
僕は1人でイワオの家を訪ねた、彼は15年前はバーテンをしていた、僕の撮影時のアシスタント、通訳ドライバーもしてくれていた。
その後写真をどこかで学び撮影を選ばずプリント屋LAカラーのオーナーになって成功していた。
「アメリカ人は結婚離婚を繰り返し、結婚パーティーをやるからパーティの写真をたくさんプリントしてくれる、こっちはたまんないよ」家を買いポルシェ(ポーシェ)に乗りラスベガスに通う為軽飛行機の免許も取っていた。
家に着くとすぐに「タカオ 今日本語放送をやっているぞ 見るか」とTVのボタンを押した、画面が現れると浪曲師の天津羽衣が「お吉物語」を歌いだした。新宿3丁目で聞いたあの歌だった、アメリカLAで聞く歌は何とも不思議な感覚だった。

                        続く

ミツオ君物語 その

 モデルもメイクさんもちゃんと化粧をして カラオケルームに現れたから どうも見違えてしまった。
歌はゼンゼン聴いたこともない歌だってけど 楽しそういかにも楽しんで歌っている風 歌うってそんなに楽しいのかよ。
ミツオ君が歌う前に飲み物が届いた、浪曲子守唄の伴奏が始まる、60を少し過ぎたと思える仲居さん 飲み物を テーブルに並べ終えると ドアの前で正座した、お盆を裏返して膝の上に載せ手拍子をとり始めた。   
”逃げた女房にゃ未練はないが お乳欲しがるこの児がかわい、、、”一寸ドスを効かせた声 下町っこ風な巻き舌
一節太郎風は見事さすがトリを勤めただけの事はある。
「貴方も好きそうだねえ、ひとつ歌うかね」と所さん腕をとって仲居さんを椅子に座らせる。
「むがしい 宴会歌手やってたっけ だばすごとでよくはあ うだったもんだべ」
「うんじゃプロでないかい 銭払わねえと歌えねえてか」とミツオ君
「とんでもねえ むがすのはなすだ」「ジャア聞かせてもらうべえ」とビールの入ったグラスを渡す、
河内男節 マイクを30センチも離して 腹から搾り出す声 元とはいえさすがに本職 歌詞には訛りのかけらもなく歌い上げた。

「河合さんも一曲位歌えるといいんだよな〜」最年長のオレが歌わないと座がしらけるって訳だ。
そうだカラオケの経験はないけど 山の合宿では下山の前日コンペでは 大声で歌ったんだっけ、30年も前の事だったが。

その後平凡パンチは廃刊となり、ミツオ君との仕事は無くなったが、編集者には珍しく高卒、だからなのか オレはどうせ出世はしないから という居直りなのか ズバズバ飾らない本音を吐いた、それでいてユーモアを交える話術
彼からは限り無く素敵な影響を受けた。
くたばる前にもう一度会いたい男でアル。
                               END

 

ミツオ君物語 その

 これはヤバイとばかりに運転手の所君は チエンを付ける事にした。
何か手伝おうとして外に出てみたが あんなでっかいタイヤ相手では手も足も出ない。
その作業が終わると所君車内に戻って 懐中電灯を手にして「一寸見てきますわ」の声を残して ホテルを探しに行ってしまった,まだ明るかったが日は山の向こうにあった。
残された我々、車中泊も覚悟したが誰も口には出せずにいた。
エンジンはかけっぱなし、暖房がよく効いて眠ってしまった、眼が覚めたらホテルの前、どうやら一酸化中毒は免れたようだ。

 翌日は生憎の雨、写真屋殺すにゃ刃物は要らぬ 雨の三日も降ればいい とは誰かが云っていたっけ。
憂鬱な気分で朝食の席に着いたが、女2人は何やらはしゃいでいる 「ミツオさん今日は撮影は無しよね」
「だったらさあカラオケやろうよ」「あのなあ ミツオさんはテレビで歌ったことがあるんだぜ」と所君
「ああ あれ聞いてた 平凡にいた時代にテレビの番組『平凡対明星 華の芸能記者恥欠き歌合戦』でトリ勤めたのよ」としゃべり出せば 宴会男の異名を持つミツオ君もう止まらない。こっちも覚悟するしかない。

続く
  







 









ミツオ君物語 その

 新聞社雑誌社の計6社、12人がアメリカ環境局の招きで 観光地を取材する事になった。
僕は平凡出版(現マガジンハウス)の林俊麿編集と同行する事になった、LAを発って八日目アトランタに着いた。
現地の商工会議所では 歓迎パーティーを開いてくれた、形通りの挨拶が済むと 無礼講となり元気のいいのが歌いだした、何という歌なのかさっぱり判らない歌が多かったが ビューテイフルサンデーはのりが良くダニーボーイは太い声でし、しみじみと訴えかけてきた。
日本人も誰か歌え!とせがまれても、新聞記者連中はほぼ優等生タイプ 遠慮しているのか恥ずかしいのか、カラオケではなく生バンドだから気後れもありかな、するとわが相棒 俊麿くんが何やらバンマスと話し合っていたが
歌いだしたのが
「知りたくないの」一番はコニーフランシス調に英語で 二番は菅原洋一調の日本語 三番は日米ミックスのごちゃ混ぜで歌って やんやの喝采を浴びた。
さすが社内で”ウタマロ”と呼ばれているだけの事はある、鮮やかに決めてくれた。

帰国後ミツオ君から呼び出しがかかった、頃はン十年前の四月の末である。
誰が考えたのかは知らないが、雪原をワイキキの浜辺と勘違いして 裸で日光浴を楽しんでいる女を 撮ろうと言うものであった。
最も海外ではヌーディストビーチがあちこちに出来たという ニュースは聞こえてきてはいた。
ロケバスをチャーターしてモデル ヘアーメイク を頼んで総勢6名 八幡平に向かった、山に差し掛かると雪が降り出し、やがて道も見えない吹雪になってしまったのだ。

                               続く

ミツオ君物語 その

 彼の趣味三番手はカラオケだった。
僕はカラオケにはトンと興味がなく、素人の下手な歌聞いてお義理の拍手するなんざあ どこが面白いのか不思議でならなかった。
根は音楽に対しての劣等感にあった、ピアノ ヴァイオリン ピアノ ハーモニカどれをとってもダメ、姉も妹も音大を出ているというのにである。  
そのイメージが変わったのは 中高の同級生、弓削に銀座のクラブに誘われてからである、彼は建材会社の営業部長になって交際費が使えるようになって、自慢をしたくてなのか僕を良く銀座に誘った。
数寄屋橋の近くの小さなビル 二階小さなBAR12坪程のフロアーに6組の応接セット ホステスが6人、店の制服を着ていた。
客は3組10人ほど、 我々がブランデーを飲み始めた頃 何やら伴奏曲が流れ始め 客の1人にマイクが渡された するとホステスが全員立ち上がったのだ。

”曇りガラスを手でふいいて ハイハイーパンパン”と合いの手と手拍子
”あなあた〜明日がみ〜えまあすうかあ アソーレ  パンパン”
”愛しいても愛してもあ あ あ人の妻 ドシタイ ドシタイ パンパン”
とくる迫力と調子のよさに面白さが加わって 客は全員が笑いっぱなし カラオケってこんな楽しみ方もあるのか、全く驚きのひと時としか言いようがなかった。

 そして次にカラオケに魅了されたのがなんとアトランタだった。

                                  続く

ミツオ君物語 その

 ミツオ君の趣味は競馬、ゴルフ、カラオケであった。
「明日のレースは絶対だー」と言うのは何度か聞いた、一口乗せてもらうよ、と何回か相乗りしたが 当ったためしはない。
ゴルフは社の野球チームではキャッチャー、鉄砲肩なんだぜと自慢する事は何度かあったので、背筋が強いらしいとは想像できた。
神奈川の名門コースの予約が取れたというので 平凡出版(現マガジンハウス)の編集者3人の中に入れてもらった。
打ち下ろしのミドルホール360ヤード、フェアウエイ右にバンカー、アマチュア用のトラップがある、前の組がそのバンカーから打ち終わって4人が歩き出した、キャディが「オナーさんいいですよ」

ミツオ君二度素振りをしてから ”バシッ”といい音を残して青空に向かって白球が飛び出した。
キャディが「凄い プロ並だわ!」と叫ぶ
ボールは前の組のすぐ後ろに落ち 四人の真ん中を割って前に転がってゆく、ビックリして振り返る四人組み スンマセンと頭を軽く下げてティーを拾う、キャディが凄いわと言いながら拍手、ミツオ君何食わぬ顔で、
「基礎がしっかりしているからね」とのたまう。

スコアや飛距離に拘らず 決してストイックにならず 自分も楽しみパートナーにも笑いを振りまく、素敵なゴルファーだ。
ミツオ君といっても今話題の塚原光男君とは訳が違う、間違えなきよう念のため。

                    
                                 続く

ミツオ君物語 その

翌日会ったのはYと言う副編集長、年は10歳ほど上か 言葉使いも身振りも東北を感じさせた もう既にポジは何枚か切り取ってあり、「これを8ぺ−ジで使わせてもらうよ」
と残りにフィルムを僕の方に滑らせてきた。
「エッ!これを僕が持っていたら他に売ってしまうかも知れませんよ」
「君が自費で撮って来たもんだ どうしようと君の勝手だ」恐ろしくクールだ、その後一年ほどこのYさんと仕事する事になった。
のだが彼は酒乱の気があり後に大喧嘩する事になる。
最後の入稿を済ませて、これでこの会社ともお別れか、、、としょんぼり玄関を出るとミツオ君とバッタリ、しょぼくれた理由を話すと「じゃあ 俺の所に来ればいいじゃん」

おいおい本気かよ、あのなあ 上司とトラブッタ下請けを使えば 更迭か出向させられるんじゃないのか。
いや これは池井戸小説の 読みすぎかも知れないんだが。
ケロッとこんなセリフをはくとは 上司の意向なんてまるで気にしていないような表情と素振、気に入った、この男なら面白い仕事が出来そうだ。
その後何回か仕事をして順調だった。
次の撮影打ち合わせは、校了が終わった編集部室の彼のデスク、部屋にはほとんど無人状態、あわただしい靴音がして40がらみの男がとびこんできた。
「ミツオ君 河合さんていうカメラマンを紹介して欲しいんだけど」とその男、ミツオ君少し考えるふう、
「いいけどさあ 彼は気難しいよ まあよく言えば芸術家肌だな、、、な」と話をオレに振る、
「うん 見栄っ張りで自尊心が強いっていう噂だからなあ」と合せる
「カメラマンは皆そうだよ そんなの気にしないよ、だからたのむよ」
ミツオ君徐に「じゃあ いいか!こちらが河合さん そしてこちらがポケットパンチ副編の金森さん」

とぼけた男である。
                         続く







ミツオ君物語 その

 本郷専務は雲の上の人、社内で挨拶くらいはした事があるけど 口を利いたのはLAが初めてだった。
「良く会社を辞めたねえ」が挨拶代わりだった、口数の少ない人である、よく集英社を辞めたな サラリーマンでいれば 一生安泰に暮らせたのに、と言う意味か?それとも 若いのにいい度胸してるじゃないか?の褒め言葉なのか判らなかった,がこんな時にはプラス思考に限る。
専務に頼めば売り込みは簡単だろうに それは何故か出来なかった。
官僚のおやじが 東京医大に息子の裏口入学を 頼む様に似ていないか と思った訳ではないが直接プレイボーイ誌に電話してみた。

グラビア担当の高田と言う人が出て「今日のスケジュールは一杯なんでね 明日以降又電話してくれるかなあ」
以降ということは明日か明後日か、まさか遺功ではあるまいが、
声の感じでは このテーマに感心がないな と判断、平凡パンチに電話してみた。
 竹川と言う人が出て内容を話すと「すぐもってきてくれ」となり、彼に写真を見せると「僕を信用して一日だけ預からしてくれないか?」男らしい骨ばった顔だが雰囲気は柔らかい、写真を預ける事にした。
帰宅すると伝言があり 明日昼前に編集部に着て欲しいと話は早かった。

翌日会ったのはYと言う副編集長、年は10歳ほど上か 言葉使いも身振りも東北を感じさせた もう既にポジは何枚か切り取ってあり、「これを8ぺ−ジで使わせてもらうよ」
と残りにフィルムを僕の方に滑らせてきた。
「エッ!これを僕が持っていたら他に売ってしまうかも知れませんよ」
「君が自費で撮って来たもんだ どうしようと君の勝手だ」恐ろしくクールだ、その後一年ほどこのYさんと仕事する事になった。のだが彼は酒乱の気があり後に大喧嘩する事になる。
最後の入稿を済ませて、これでこの会社ともお別れか、、、としょんぼり玄関を出るとミツオ君とバッタリ、しょぼくれた理由を話すと「じゃあ 俺の所に来ればいいじゃん」

                           続く




ミツオ君物語 その

 船橋に住むミツオ君から 今年も梨が届いた 豊水の大玉である。
彼は今はなき 平凡パンチの編集者で僕の担当でもあった、パンチが廃刊になって30年、ミツオ君が退社してから8年という年月がたつのか。
彼はチャキチャキの江戸っ子気質 歯に衣を着せず上司にもずけずけ物申すが 不思議と憎まれない、羨ましい徳を持った男である、年は一回りほど下だった筈だ。

 LAに渡る前 神田神保町にある集英社に籍を置いたことがある、東京オリンピックの前の年だったなあ。
どこでどう調べたのかLAまで集英社から電話があり、本郷専務がLAに来るという、大田博之と言う若い人気俳優と一緒,なんでも生みの母がカリフォルニアにいて、再開シーンを撮れと言うのだ。
その仕事が済んで皆でラスベガスへの旅行を楽しんだ。

 帰国してヌードの撮影にはハマッタいた僕は モデル探しに苦労していた、そんな時にタイから一時帰国していた義弟が、タイに来れば可愛い子がうウジャウジャいるよ、と言って又タイに帰っていった。
騙されたつもりでバンコックに行き、ヌード ファッション 町の様子等5週間滞在して100本ほどのフイルムをまわして帰国した。
そして二ヶ月してタイのチェンマイで 玉本と言う男がなにやらヤバイ事をやらかしたらしい、幼妻7〜8人はべらせて云々と連日新聞が取り上げるようになった。
写真を売るなら絶好のチャンス!とばかりに雑誌に売り込み開始を始めた、先ずは本郷さんを頼って集英社のプレイボーイか。
      
                                  続く

               


孫の手

あさひるよる字ここに本文を記入してください。


 文章の順番が逆になってしまった、


写真のアップロードが苦手だから 嫁が来たときにやってもらう不甲斐なさだ、許されよ!

梓はひらがなだけでは物足りないのか、我家に来るなり白紙のステッカーに絵を書き出した、話しかけても上の空
とにかく集中すると周りの話掛けにも耳を貸さない、イヤ聞こえないらしい。
あさ ひる よる ねるまえを絵にしてくれたが、、山の谷間から登る朝日なんて見た事あるのかなあ、、世田谷の住宅密集地に住んでいて。

学校の課題で書いた防災の日の”救急車か消防車”に消防車を書いて 9月には消防庁から表彰を受けるらしい。
ねこ科の動物が怒った時に背中を丸めて いかにも飛び掛る仕儀さのように 消防車も背中を丸めて飛び出さんばかり、よくもまあ審査員がこの絵を選んだものだ、梓が自信をつける筈である。 

calendar
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< January 2019 >>
sponsored links
商用写真 1000の微笑
日本人女性360人分の笑顔写真あります。全写真、河合孝雄による撮影。イベント用の巨大写真、ウェブ用の広告写真などに使用したい方はご連絡ください。 http://www.studiok-2.com/smiles.htm
selected entries
archives
recent comment
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM